2014年



ーー−12/2−ーー 夜の気配 


 
夕食時に酒を飲む。良い気分に酔っぱらうと、庭に出て小用を足す。この瞬間が、なんとも満ち足りて、嬉しい。

 空には満点の星、そして月光。それらの条件が揃えば、一層演出効果を発揮する。しかし、曇り空でも構わない。漆黒の闇も良いものだ。目的が目的なだけに、灯りは点けない。その暗さが良い。穏やかな天気でなくても、例えば強風が吹いて林が鳴るような夜も、ダイナミックで心地良い。少々の雨でも、構わない。かえって風情が増す。つまり、どのような状態でもOKなのである。ガッカリした事は、これまで一度も無い。

 まず自然の匂いがグッとくる。何故、夜になると香りが立つのだろうか。日中とは全く違う感覚である。そして、間近に聞こえるせせらぎの音。これにも癒される。一日中流れているのに、夜になるとはっきりと聞こえるのだ。その音が、むしろ全体の静寂を際立たせる。匂いと音が、これほど感覚を刺激するというのは、毎回の驚きである。そして、山の方に目を向ければ、まっ黒なシルエットが恐ろしいほどの存在感。たたみかけるようにして、自然の気配が押し寄せてくる。

 日々の生活の中で、夜を肌に感じる機会は、結構少ない。真っ暗闇や、完全な静寂に触れることは、滅多に無いのである。短い時間だが、庭に出て、自然を感じるひと時は、不思議なほど気持ちが良いのだ。外へ出る動機は、あまり褒められたものでは無いが。




ーーー12/9−−− 健康体操が楽しかった


 地域の社協(社会福祉協議会)が主催する健康教室に参加した。集まった住民は30名ほど。ほとんどが高齢者である。

 市の健康推進課から職員の女性が二人来ていた。その指導のもと、まず参加者は各自、体組織測定なるものを行なった。素足になって体重計のようなものに乗ると、コードで繋がった計器から、測定データが印刷された紙が出てくる。私の測定結果は、体脂肪率、筋肉量、基礎代謝レベルなど、ほとんどの項目が普通や標準だった。体内年齢は40歳となっていて、一瞬喜んだが、後で説明を聞いたら、みんな若く出るようになっているとのことで、がっかりした。

 それからレクチャーがあった。保健師の方が、日常の血圧チェックの大切さを説明した。私は毎朝血圧を測って記録しているので、興味を持って聴いたが、あまり目新しい話は無かった。

 最後に、健康運動の実技があった。指導士は若い女性で、第一印象は軽い感じを受けたが、実際に指導が始まると、なかなか優れた人材だった。専門のトレーニングを受けているのだろうが、指導方法が実に的を得ていた。雰囲気作りも上手く、和気あいあいとしたムードが楽しかった。

 身体各部のいろいろな運動を順番に教わったが、折々の説明の中にハッとするものがあって、ためになった。やっていけない運動は、いきむような動作を伴うものとのこと。例えば、重い物を持ち上げるような動作。その瞬間呼吸が止まり、脈拍が上昇し、身体に急な負担が生じるので、危険だと。健康体操を指導する中でも、「無理をしないで」とか、「呼吸を続けて」とかチェックが入る。なるほど、こういう事に気を配った方が良いのは間違いなかろうが、こんな事でも言われて初めて気が付くのである。

 それから、運動は小分けにするのが良いとも言われた。一気にフルコースをやろうなどとすると、運動が過剰になったり、また億劫に感じて取り掛かれなかったりする。大袈裟に考えず、少しずつやればよく、それでも効果は全く変わらないと。ちょっと体を伸ばすだけでも、やらないよりははるかに良い。そんな風に、軽い気持ちで取り組めば良いのだと。

 実際のストレッチ体操をいくつかやった後、これだけは覚えておいて下さいと言われたものがある。両足を開いて立ち、膝が直角になるくらいまで腰を落とす。両手をそれぞれ膝に置いて、脚を開くように力を掛ける。さらに片側ずつ、肩を入れるようにして上半身を捻じる。若い女性指導員は、他の体操は全て忘れても良いですから、このストレッチングだけは実践して下さいと強調した。

 参加者の中から、野球のイチロー選手がよくやっている形だとの声が上がった。それを聞いて、以前新聞で読んだ記事を思い出した。イチロー選手はストレッチングの原理を良く心得ていると書いてあった。あのストレッチングの事である。特に、頻繁にやっているのが良いと。ストレッチングは、5分おきにやるぐらいが理想的だそうである。やはり小分けにするのが良いということか。

 およそ2時間の健康教室が終わり、参加者が会場から退出する時、指導員は用具の片付けをしていた。私はそばに寄って、「とても良い指導でした。有難う」と声を掛けた。社協の副会長と言う立場での行為ではない。純粋に感じたことを、ただ伝えたかったのだ。トレーナー姿の若い指導員は、はち切れるような笑顔で「わぁ、嬉しいです。こちらこそ有難うございました」と返した。




ーーー12/16−−− 愛の意味


 
「〇は気が短く、切れ易い。〇は思いやりが無い。他人をねたむ。〇は自慢をし、偉そうにする。礼儀をわきまえず、自分の利益ばかり考え、いらいらし、人を恨む。不義を喜び、誠実を嫌う。すべてに我慢できず、すべてを疑い、すべてに望みを持たず、すべてにくじける」

 これは聖書の中にある一文を、書き変えたものである。主語を伏せ、術語を反対の意味にしてみた。

 原文は「愛は忍耐強い。愛は情け深い」で始まる。新約聖書、コリントの使徒への手紙一、13章の4〜7節である。原文を一読することをお勧めする。聖書はネットでも読むことが出来る。

 さて、冒頭の文章の〇に入れる言葉で、相応しいものは何かと考えた。「愛」の反対は「無関心」であるという。しかし、ここに「無関心」を入れても、ほんの一部しか意味が通らない。それでは「恨み」はどうであろうか。「恨み」は既に文章に入っているから、これもピッタリしない。「怒り」はどうか。やはりしっくりこない。相応しい言葉は、ついに見つからなかった。

 こうして見ると、愛という概念は、たいへん奥が深く、別の単語で裏返すことはできないように感じる。日本において、愛という言葉が現代のような感覚で使われるようになったのは、最近の事らしい。夏目漱石は、「I love you 」という英文を、「月が綺麗ですね」と訳したとか。愛という文字は、平安の頃からあったが、その意味は「いとおしく離れがたい」だったとのこと。日本古来の「愛」は、キリスト教文化圏の愛とは、ずいぶん違うのである。

 愛にこれほど深い意味があるとするなら、愛を拠り所にする生活というのも、簡単ではなさそうだ。

 献身的に世のために力を尽くす人でも、他人を恨んだり、威張ったりしては、愛が欠けているということになる。いつも笑顔で付き合いが広く、一見温厚な人でも、内心疑い深い者は失格だ。日常生活に於いても、不躾な言動や行いをしてはいけないし、ふてくされる事も許されない。自分勝手はいけないし、嘘や騙しなど、誠実さに反する行為も許されない。愛ある生活と言うのは、総合的なものなのである。欲望や感情に流されず、心を穏やかにし、自らを顧みることにより、はじめて与えられるものなのだ。

 ところで冒頭の文章。〇に自分の名前を入れてみる。全てが当てはまるとは思わないが、部分的には否定できないものも有った。それに気付いたとき、ちょっと寂しかった。





ーーー12/23−−− チェーンソーのトラブル


 
先日「薪の提供事業」なるイベントが開催された。市内で伐採された丸太を、薪ストーブ利用者に分配するという、市の事業である。数年前に登録をし、過去に一回だけ貰いに行ったことがある。その後、希望者が増加したそうで、さっぱり連絡が来なくなった。もうすっかり忘れていたところ、先週金曜日の夕方に、市役所から電話があった。翌日の午前中に行うので、来られるかとの事だった。ずいぶん急な話だが、幸い別の用事が無かったので、申し込んだ。

 当日の朝、出発前にチェーンソーを工房に運び、手入れをした。刃を目立てし、チェーンの張りを調整し、空気口のフィルターを掃除した。さらに燃料とオイルを入れて、始動を試みた。チェーンソーを使うのは、数ヶ月ぶりである。しかも、物置に置いてあったので、完全に冷えている。このまま現場に持って行っても、エンジンが掛からなくて困るだろうと予想した。自宅なら、いろいろ対策が立てられるから、試しにやってみることにしたのである。

 案の定、エンジンは掛からなかった。チョークを引いたり、戻したりを繰り返しながら、断続的に何十回もスターターを引いたが、ダメだった。寒さのためか、スターターは夏場よりさらに重かった。薪を取りに出発する前に、腕が疲れて棒のようになった。

 チェーンソーのエンジンは、2サイクルエンジンなので、ガソリンに潤滑油を混ぜて燃料にする。エンジンを止めたまま長い間置くと、ガソリンが蒸発して油だけ残り、キャブレターなどの燃料系統に詰まる。そうなると、エンジンが掛からない。だから長期間使わない事が予定される場合は、燃料を使い切るまでエンジンをかけ、燃料系統を空にさせる必要がある。もしある程度の燃料がタンク内に残っている場合は、それを捨て、エンジンを始動させて、自然に止まるまで運転する。このトラブル対策は、奇しくも前回の薪の提供事業の際に、手伝いに来ていた林業関係者から教わった。

 そのような対処をしておいたのだが、エンジンが掛からない。チェーンソーを逆さまにして振ると掛かりやすくなるという、迷信の様だけれど、いつもなら結構効果がある方法も試したが、やはりダメだった。チェーンソーにしろ、草刈り機にしろ、エンジンが掛からない時は辛い。徒労感、絶望感は、言いようが無いほど大きいのである。

 それでも、窮すれば通ず、ということか。新たに二つの方法を取り入れたら、エンジンが掛かった。回り出したエンジンの騒音の、なんと心強かった事か!

 事態を好転させた二つの方法とは、一つはヘヤードライヤーでキャブレターを温めるということ。エアーフィルターのカバーを外し、直接キャブレターに温風を浴びせるのである。もう一つは、木の棒をかませて、両足でチェーンソーを床に固定し、両手でスターターを引っ張るようにしたこと。前者は当然効果がありそうな事だが、後者もなかなか捨てがたい。腕の疲労が格段に減るので、連続してスターターを引くことが出来るのだ。

 かくして回り出したエンジンを、しばらくアイドリングさせて、温めた。それからエンジンを止め、チェーンソーを断熱材で包んでトラックに積んだ。現場まで30分程度である。こうしておけば、冷え切ってしまう事はないだろう。

 思惑は的中し、現場では一発でエンジンが掛かった。もし自宅で試運転をしなければ、おそらくエンジンが掛からなかったと思う。そうだったら、太い丸太を切断して持ち帰る事は不可能だった。せっかくの機会を、半ば無駄にするところだった。現場で何度もスターターを引き、気ばかり焦るがエンジンが掛からず、苦痛と恥ずかしさに顔を歪める自分の姿が想像された。




ーーー12/30−−− 今年を振り返って


 今年も残り二日となったが、振り返ってみれば、なかなか良い年であった。

 まず稼業の方。3月の飯田の展示会は、有意義だった。5月には久しぶりに東京で展示会を行ない、いろいろな意味で、手応えを感じた。6月にラジオ出演をしたら、全国から反響があり、注文も相次いで、忙しくなった。9月には松本でグループ展があり、良い出会いがあった。

 家庭生活では、家族一同、病気も怪我も事故も無く、安泰に暮らすことができた。その一方で、7月に初孫が生まれた。出産を控えて、長女は5ヶ月間ほど我が家に滞在した。その日々も楽しかった。孫ができてから、生活に新しい楽しみが生まれた。

 趣味の分野では、30年越しの念願であった南アルプスの塩見岳へ登ることが出来た。秋に家内と登った雨飾山は、三回目にして初めて山頂から日本海を望んだ。

 10月には、東北の被災地を巡る旅に出た。いまだ復興には程遠い現地の状況に触れ、胸に重い物を感じた。

 住んでいる地域の公民館長という要職を頼まれ、任期二年の前半が過ぎつつある。時間を取られることも多く、組織内の調整なども気を使うが、多少なりとも地域の役に立つべく、奉仕を続けたい。

 昨年の11月から、日曜日の礼拝に通っている。今年も、公務などでやむを得ず出られない場合を除き、毎週参加した。この国では、異質なものを排除する傾向が根強くある。特に宗教に関しては、無理解、詮索、誹謗中傷に曝される事が多く、時おり辛い思いをする。黒田官兵衛だってクリスチャンだったのだが(笑)。ともあれ、謙虚な気持ちで人に接し、愛を実践し、心穏やかな生活を送れるよう、祈りたい。

 今年も週刊マルタケ雑記をご愛読頂き、有難うございました。

 良いお年をお迎え下さい。






→Topへもどる